公団ウォーカー

公団ウォーカー誕生秘話

 公団ウォーカーは、おかげさまで2020年3月3日に15周年を迎えました!この記念コンテンツでは、公団ウォーカーの歴史を振り返ってみたいと思います。

アイコン私が団地好きになったきっかけ

団地で過ごした幼少期

 私が生まれ育ったのは、東京都小平市の電電アパート「花小金井東社宅」でした。ここには10棟のスターハウスと広い芝生があり、私の記憶に団地の原風景が深く刻まれていきました。社宅に住んでいると、広い棟の間取りの話が話題に上がったりしますし、父に連れられて他の社宅を訪れる機会も多かったです。そのおかげ(?)か、団地を深く観察する素養が養われていったような気がします。

電電東団地 電電東団地


光が丘と桜堤団地

 私が団地を意識するきっかけとなった最初の団地は、意外に思われるかもしれませんが、練馬区の光が丘パークタウンでした。2003年、高校2年生の頃です。都営12号線から名前が変わったばかりの「都営大江戸線」の終着駅とはどんな街なのだろうかと何気なしに訪れたのですが、駅を降りて広がっていたのは、今まで見たことのない計画的、近未来的な住宅都市。低層住宅地街が広がる西武線沿線地域に住んでいた私は、このような街並みを見るのは初めてのことです。大変な衝撃を受けた私は、以後何度も訪れることになりました。この時、私は「都市基盤整備公団(当時の名称。現在のUR都市機構)」の存在を強烈に意識するようになりました。
 ちょうどその頃、もう一つの出会いがありました。それは、高校の裏手にあった公団桜堤団地です。学校の帰り、いつもと違う道を通ってみると、何とそこにはスターハウスがあるではないですか。スターハウスはNTT社宅の専売特許と勝手に思い込んでいた私は衝撃を受け、気付いたら桜堤団地の写真を撮りまくっていました。しかも、調べてみると、ここの管理者も都市基盤整備公団。この頃から、団地への興味が急激に湧き上がってきたのでした。
 そんなわけで、私が対外的に「団地が好きになったきっかけは?」と聞かれた時は、「光が丘と桜堤団地で感動したのがきっかけ」と答えています。

光が丘パークタウン 桜堤団地


アイコンサイト開設までの経緯

壁紙写真サイト都市画像整備公団

 2003年、無料のHP作成サービス(魔法のiらんど)で、自分の撮り貯めた街並みの写真をたくさんアップロードしていました。その名も、街並み壁紙画像サイト「都市画像整備公団」、略して「都画公団」。スマホが当たり前の今では考えられないかもしれませんが、当時のガラケーにはカメラが付いていないので、電話の待ち受け画面専用サイトというのがとても人気だったのです。当初は、新宿のビル街などをたくさん上げていたのですが、次第に団地の比率が高くなっていき、気がついたら「街並み壁紙画像サイト」が「団地画像サイト」になり始めていました。このあたりで、私は初めて「自身は団地が好きだ」と認識し、団地好きを公言するようになっていきました。(同級生には、「やめておけ。」とか「変な趣味」と言われましたがw)
2004年ごろには、昭和30年台の団地が急速に壊されていることを知り、団地撮影活動を本格的に始めました。大学受験が目の前だというのにもかかわらず…でした。

都画公団 都画公団


公団ウォーカーの誕生

 大学受験が終わり自由の身になった私は、本格的な団地サイトを構えようと考え、春休みの間に一気に完成させました。そして2005年3月3日に団地ファンサイト「公団ウォーカー」がオープンしました。ちなみに、サイト名はめっちゃ悩みましたが「団地ウォーカー」ではなく「公団ウォーカー」としました。というのも、2004年に「都市基盤整備公団」が「UR都市機構」に、「公団住宅」は「UR賃貸住宅」と呼び方が変わったばかりでして、「公団」に愛着を持っていた私は、せめて自分のサイトには「公団」の名を残しておきたいと思ったのです。あれから15年以上経ちましたが、「公団住宅」という呼び名はもはや死語になりつつあり、自治会の役員さんくらいしか使ってないです。

公団ウォーカー初代 公団ウォーカー初代


団地を文化に

 公団ウォーカーを開設して以降、インターネット文化の発達とともに、ネットで知り合った団地好きの方と一緒に団地を回ったりする機会が増え、オフラインでの交流活動が深まってきました。
 そして、団地愛好家界に大きな節目の年となったのが2007年です。今は亡き洋泉社から「団地を取り扱ったMOOKを出したいので協力して欲しい」とのお話があり、私を含め、多くの団地愛好家が記事を書き「僕たちの大好きな団地」が出版されました。これは、メディアからも大変注目を集め、私や仲間たちが幾度となくテレビや新聞の取材を受けることとなりました。その後、続けて、共著「団地ノ記憶」、UR都市機構と共同で「団地の子どもたち 今蘇る昭和30・40年代の記憶」を世に送り出すことができました。
 さらにこの頃、団地好きの仲間たちと「プロジェクトD」というチームを作り、「ダンパク・大団地博覧会」というトークイベントを2007年から2009年にわたって4回開催しました。第3回目は、UR都市機構及び花見川団地商店街、第4回目は吹田市役所有志の皆様からの依頼がきっかけで開催されたもので、本物の団地の中でやりました。

ニューキー ダンパク3


団地入居と日本懐かし団地大全

 2009年、大学卒業後ほどなくしてUR神代団地に入居し、念願の団地生活が始まりました。社会人になると、学生時代のように時間を自由にとることができず、ネット上での活動は縮小気味になっていましたが、団地好きの仲間たちとの交流や、一緒に団地を巡る活動は相変わらず続けておりました。
 そして2018年、久しぶりに大きな活動としてやらせていただいたのが、「日本懐かし団地大全」の出版でした。仕事柄、職場に許可を貰う必要があるなど苦労が多かったものの、どうにか世に送り出すことができました。

神代 日本懐かし団地大全


公団ウォーカーと、これからの団地

 この15年間で世の中は大きく変わり、昭和30年代の団地の建て替えはひと段落し、いよいよメインストックと呼ばれる昭和40年代以降の団地にも手が入れられていく時代になりました。近年は、団地の良さや持ち味が見直されるとともに、無印良品と協働のリノベーション事業やスターハウスの文化財指定など、昔では考えられなかったことがたくさん起きています。団地は、これからもっと面白くなっていくことでしょう。公団ウォーカーは、そんな変わりゆく団地の姿を追い続けていきたいと思います。

凧揚げ

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