日本住宅公団浜甲子園団地
兵庫県西宮市枝川町 公団賃貸住宅 昭和37年入居開始
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昭和37年から昭和39年にかけて入居が行われた全150棟4613戸のマンモス団地です。「浜甲団地」の愛称で親しまれていました。武庫川女子大学を取り囲むように団地が建っていましたが、全面建替事業により北西の一部街区以外は建替が終わっています。
(2025年3月17日更新)
建替前の浜甲子園団地

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建替事業着手前の航空写真です。武庫川女子大学の南側に商店街がありました。住棟は南面並行配置を基本にしつつ、ところどころに直行する住棟がありました。現在は、南側の大部分が民間に売却され、マンションや戸建て住宅になっています。

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4階建てと5階建てが混在したユニークな配置です。階段室が北入りの住棟と南入りの住棟を向かい合わせにしたNSペアの配置も多くみられます。

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立派な給水塔が見えます。

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給水塔の上には鳥や気球のイラストが描かれていました。

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昭和30年代によく見られた、隣の階段の住戸とバルコニーがつながっているタイプです。隔壁を破ると隣の階段に避難できるので火災から逃れやすいですが、両端の部屋だけは逃げ場がありませんでした。

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西集会所

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西集会所入り口

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松の木は、昭和30年代の団地でよくみられました。

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住棟妻側にプレイロットが連続的に配置されています。

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プレイロット

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ところどころピロティで通り抜けを確保している住棟がありました。

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ピロティ

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住棟番号はオレンジ系のワイヤーフレームで作成されたものです。昭和30年代の関西エリアでよく見られました。

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南入り住棟

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ベランダの形に合わせて庇(ひさし)がデコボコと突き出ています。

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ダストシュートがレンガ調なのは、関西エリアの昭和30年代団地特有のデザインです。浴室の北側には、当時のガス会社の規定に基づき、ガス機器点検用のためのサービスバルコニーが設けられています。

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この時代の団地のバルコニーは意外と奥行きがあります。この後登場する全国統一標準設計でバルコニーの奥行きは狭まってしまいました。

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所々に和を感じる屋外空間。

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住棟番号が低い位置についているのも、昭和30年代の関西エリア団地の特徴です。

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北側の階段室周りも綺麗に植栽されています。

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懐かしいコンクリート製遊具

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南入り住棟もベランダの部分だけ庇が出っ張っています。

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NSペア配置の住棟

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ダストシュートがベランダ側に来ているため、1階住民は臭気で悩んだと思います。

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南入り住棟の北側

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シンプルな南面並行配置

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プレイロット

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総合団環工事で駐車場がNSペア配置の間にも入り込んできました。元々は芝生が張ってあり、集いの中心となる場所でした。

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読めなくなった案内板

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退去が進み空き家が目立っていました。

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謎の柱

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柵で囲われたグラウンドです。高齢化が進んだ団地によくある「ボール遊び禁止」の看板が貼られており、子供たちにはあまり使われていないようでした。

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細い小道

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UR都市機構仕様の看板ですが「公団住宅」と書いてあります。

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甲子園筋に面している棟は東向きの片廊下型住棟です。

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甲子園筋から見た片廊下型住棟

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集合ポストもA4サイズ非対応の旧式のままでした。

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片廊下型住棟のダストシュート投入口

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ダストシュートのレンガが良いアクセントになっています。

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海岸が近いだけあって、南国風の植栽が目立ちます。

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昔のままの階段室。配管がうねうねとつながっています。

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物干し竿用の金物の昔のままですね。
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(c) 2005 Terui Keita