日本住宅公団草加松原団地
埼玉県草加市松原 公団賃貸住宅 昭和37年12月入居開始
東洋一のマンモス団地と謳われた総戸数約6000戸の団地です。団地の入り口に開設された駅はズバリ「松原団地駅」でした。行けども行けども団地、団地、団地。とてつもない広さでした。住棟は4階建の中層フラットと2階建てテラスハウスが主で、所々にボックス型のポイントハウスが見られます。全面建替対象団地で、令和元年現在、大部分が取り壊されています。
※松原団地駅は、その後「独協大学前(草加松原)駅」に改称されました。
1-1
住棟がずらっと南向きで並んでいます。この団地の特徴は、東にある松原団地駅からメインの緑道が各住区の近隣センターにつながっているところ。埼玉を管轄する関東支所の職員は、こういうシステマチックな配置が好きだったそうですよ。
団地の中は近隣住区の理論に基づきA、B、C、Dの4地区に分けられ、地区ごとに商店街や集会施設が設けられていました。ワンセンター方式と呼ばれています。
1-2
NSペアの配置がずらーっと続いています。
1-3
南入り住棟
1-4
NSペア
1-5
住棟番号はD-35のようにABCD住区記号と数字の連番になっています。
1-6
生活感あふれるテラスハウス
1-7
みんな南向きなのでズラリ感がすごい。
1-8
1-9
1-10
行けども行けども団地が続きます。
1-11
テラスハウスの庭の仕切りはシンプル。何でもかんでも壁で囲わないのが公団のいいところ。
1-12
テラスハウス2階の物干し台がかわいい。
1-13
こちらは近隣センター。商店街です。
1-14
建て替えを目前にしてシャッター街になっちゃっていました。
前述の通り松原団地の住棟配置は「ワンセンター方式」と呼ばれ、ABCD各住区に商店街が設けられていました。これが便利かと思いきや、拠点機能が中途半端に分散してしまったため、どの商店街も今一活気がない状態に。
一方、団地の外周部(敷地外)には民間の商店が張り付きはじめ、こっちの方が活況を呈することになってしまったといいます。公団の商店街はRC造で立派な作りのため賃料も高かったのですが、団地外の商店は簡易的な建築物のためコストがかからず、売り物も安く提供できるため、団地内の焦点は太刀打ちできず、だったとか。
1-15
郵便物も尋常じゃない量なので独立した作業室が設けられていました。
1-16
1-17
東武伊勢崎線松原団地駅。今は「東武スカイツリーライン獨協大学前」なんですよね。
1-18
この2ドア車も浅草まで乗り入れなくなっちゃいました。
1-19
まつばらだんち!
1-20
1-21
ボックス型ポイントハウス。4階建てです。
1-22
ポイントハウスはメインの緑道沿いに多かったですね。
1-23
1-24
1-25
1-26
商店街
1-27
1-28
1-29
駅前団地ではありますが、敷地が東西1km以上と広大なため、団地内の移動もバスが重宝します。
1-30
商店街の名前も「D商店街」のようにシンプル。
1-31
ずらーーー
1-32
すごい迫力。
1-33
行けども行けども団地。
1-34
1-35
1-36
1-37
1-38
1-39
1-40
1-41
1-42
松坂牛のお店!
1-43
建て替えが完了したA街区は「コンフォール松原」というUR賃貸住宅になりました。
東西の通り抜けは建て替え前の特徴を継承しています。
1-44
団地外周部に張り付いた商店街
1-45
南入り棟の北側
1-46
1-47
1-48
1-49
1-50
A街区だけ妻面が特徴的なデザイン
以上です。(全50枚)
(c) 2005 Terui Keita