公団ウォーカー

日本住宅公団阿佐ヶ谷住宅あさがやじゅうたく

東京都杉並区成田東 公団分譲住宅 昭和33年入居開始

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 全戸分譲の団地です。公団内部資料には「阿佐ヶ谷団地」と表記され、募集パンフレットには「阿佐ヶ谷分譲住宅」と表記されるなど呼び方がはっきりしていませんでしたが、入居開始後、住民により「阿佐ヶ谷住宅」が正式名称となりました。
 総戸数350戸のうち、2階建てテラスハウスが232戸(三角屋根174戸、公団標準型58戸)を占めており、阿佐ヶ谷の低層住宅地の中に溶け込んでいました。配棟設計は、公団東京支所のエースであり赤羽台団地や高根台団地を手掛けた津端修一で、コモンと呼ばれる緑地帯が配置されました。阿佐ヶ谷住宅を特徴付ける三角屋根のテラスハウスは前川國男の設計で、米軍ハウスのような外観でした。公団史のみならず建築史にも名を残す存在でしたが、平成25年に解体され、分譲マンション(プラウドシティ阿佐ヶ谷)に建て替えられてしまいました。

アイコン阿佐ヶ谷住宅の解説





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東京支所の団地によく見られる緩やかなカーブを描く道路と、テラスハウスに抱かれるように配置されたコモン(緑地帯)が特徴的です。中央部にはグラウンドと管理事務所があります。完成当時周囲はまだ田園風景で、団地のメインゲートは16号棟の所でした。車が通り抜けないよう、ぐるっと回ってかえってくる巨大な袋小路のような道路配置になっています。


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右側の住棟が前川國男設計のテラスハウス。左側が3階建ての中層フラットです。


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ゆるやかにカーブした道に沿って三角屋根のテラスハウスが立ち並んでいます。北側から見ると平屋に見えますが、実は2階建てです。どれも外観はそっくりですが、実を言うと間取りは2パターンありました。
TA型(東-56-TN-3DK)と呼ばれる間取りは、1階が狭いダイニングキッチンと6畳の和室、2階が4畳半の和室が2部屋。
TB型(東-56-TN-3D)と呼ばれる間取りは、1階が大型のダイニングキッチンと4畳半の和室、2階が6畳の和室と3畳の和室。広さはどちらも54平米です。


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この三角屋根の前川國男テラスハウスの第1号は中野区の公団分譲鷺宮団地(令和2年現在も現存)。第2号は世田谷区の公団分譲烏山第一団地(現存せず)です。そして最後に建設されたのが、ここ阿佐ヶ谷住宅でした。第1号の鷺宮団地では屋根の厚みや梁の太さが強調され重厚感あふれる見た目でしたが、阿佐ヶ谷住宅ではずいぶんとスッキリした外観になりました。


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UR都市機構集合住宅歴史館に展示してあった阿佐ヶ谷住宅の図面です。玄関(図面の右側)から入るとすぐに階段があり、吹き抜けになっています。


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テラスハウス間に設けられた棟間園地は「コモン」と呼ばれました。この場所について、設計者の津端修一氏は、「個人のものでもない、かといってパブリックな場所でもない、得体の知れない緑地のようなものを、市民たちがどのようなかたちで団地の中に共有することになるのか」と雑誌のインタビューで語っています。(雑誌「住宅建築」1996年4月号|阿佐ヶ谷住宅物語テラスハウスの初心 東京理科大学初見研究室)


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コモンは、住民共有の緑地帯として愛されていました。私が訪れると、いつも誰かしらくつろいでいて、ここは本当に東京かと思うようなゆるやかな空気が流れていました。コモン内にはこんもりとした丘がいくつかありますが、これは景観上のポイントとして、残土を用いて作られた「築山」で、かつてはかなりの高さがあったのだとか。


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棟間の小道は、人と人がぎりぎりすれ違えるくらいの幅で、ゆるやかにカーブしていました。住棟は、ゆるやかに方向を変えながら、連続して見えるように配置されています。


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こちらは中央広場です。阿佐ヶ谷住宅の私有地ではあるものの、お花見シーズンにはたくさんのお客さんが訪れ、地域に愛される存在となっていました。かつては、阿佐ヶ谷住宅住民による大運動会が開かれていたそうです。この広場がある街区には、中層フラットが多数配置されています。


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拙著「日本懐かし団地大全」の表紙で使用した写真です。3棟の中層フラットと徳利型給水塔が美しい調和を見せていますね。


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後ろを振り向くとテラスハウスが並んでいます。


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こちらは管理事務所。切手・ハガキの販売や、宅急便の取次なども行っていました。マンションのコンシェルジュサービスのはしりと言えるでしょう。


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管理事務所


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阿佐ヶ谷住宅のランドマークとなっていたとっくり型給水塔です。周囲が低層住宅地ですので、大変目立つ存在でした。


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コンクリートの打ち継ぎ目がよく見えますね。


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給水塔の足元


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この箱型のテラスハウスは、他団地でも見られる公団標準型。TC型(56-TN-2D)と呼ばれます。広さは46平米で、三角屋根よりやや狭いです。


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一般的に公団住宅では、メインゲートや商店街周り等のビューポイントに景観上のアクセントとなる住棟を配置する傾向にあります。しかしながら、不思議なことに阿佐ヶ谷住宅ではこの代わり映えのないテラスハウスが駅に近いメインゲート沿いに集中配置されていました。真意は不明ですが、阿佐ヶ谷住宅では周辺住宅地との調和がテーマになっていたため、駅に近い区画と団地中央部は団地然とした景観を許容し、駅から遠い区画とその外周部は周辺地域の調和を重視した三角屋根が用いられたのではないかと思います。


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団地中が豊かな自然に包まれています。


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団地内には、中層フラットが7棟ありました。公団標準設計56-3N-3DK(3階建て)と56-4N-3DK(4階建て)で、パンフレットにはF型と表記されています。広さは約52平米と、当時としてはやや広め。


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中層フラットとテラスハウスが調和する風景は、昭和30年代の団地特有のものです。公団では、地価高騰に対応するため昭和35年にテラスハウス採用打ち止め(昭和36年入居開始の高根台団地が最後)となり、以降の団地では5階建ての中層棟がずらっと立ち並ぶ風景がほとんどになりました。


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1-22(提供:UR都市機構)
団地完成当時の阿佐ヶ谷駅方面(北側)から南に向かって撮った写真になります。まだこの頃は、田園風景が残っていました。団地内の樹木はまだ育っていませんね。


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棟の間の小道です。まるで森の中を散歩しているような気分になりました。通路に使われているコンクリートブロックは、竣工当時変わっていません。

アイコンコモン(棟間園地)の風景

 配棟を設計した津端修一氏は、住棟間に帯状に緑地帯を配置し、それを「コモン」と呼びました。ちなみに造園担当の職員は「棟間園地」と呼んでいたそうです。「コモン」は言うならば公と私の波打ち際のような存在です。



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住棟の隙間に配置されたちょっとした緑地帯、これがコモンです。芝生に飲み込まれているこの円形のものは砂場でしょうか?それとも花壇でしょうか?
ちなみに棟と棟の間のちょっとした芝生スペースを含め、敷地全体におよぶ緑地の全てのことを「コモン」と呼ぶそうです。8〜13号棟裏と16〜21号棟裏にあるまとまった広場のみが「コモン」だと誤解されませんようご注意ください。


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配棟設計者の津端修一氏の書籍「高蔵寺ニュータウン夫婦物語 はなこさんへ、『二人からの手紙』」にはこのように書かれています。
「私は、東京で、これまでいくつかの団地を手掛けながら、中層アパートとテラスハウスが群として囲みながらつくりだした<えたいの知れない緑の空間>に、市民たちによる新しい魅力的な社会関係が創られるだろうと期待してきた。私有地でもない、公共のものでもない、はじめて未知なる空間を共有した市民たちの当惑した顔を、阿佐ヶ谷団地、多摩平団地で見てきた。(中略)この環境の中で子育てをしたいと、結婚してからこの団地に戻ってくる第二世代も現れてきていた。この期待以上に成熟した共有の緑地には、団地内の仲間が集まり、バーベキューをする若い人たち、花見をする老人たち、小さい子供を遊ばせる母親たち、草木の手入れをする人たちの楽しそうな姿が見えた。私が、阿佐ヶ谷団地の計画でテーマにした<えたいの知れない緑の空間>。それによって、40年間に形成された市民たちの共有の意識と評価が、この団地で幼少期を過ごした第二次世代の回帰という現象に結びついていることに、私は計画したものとして心から嬉しかった」


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車路に面するちょっとした隙間もいい感じに緑地になっていて、敷地全体にゆとりを感じさせてくれました。なんだか日本じゃないみたいです。津端修一氏自身も「米軍キャンプを連想させた」と述べています。

2〜13号棟間の広場

 三角屋根のテラスハウスに囲まれたコモンです。築山が崩れたと思しき土地の起伏がかすかに残っていました。



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桜の季節に来てみましたところ、和服のお姉さんが座っているではないですか。


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ここに来ると、いつもたくさんの人がくつろいでいました。


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夏に来てみました。春の風景とは違って、草が生茂り、森のようになってきます。


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園内の樹木は多種多様です。「住民はコモン内に勝手に木を植えてOKだけど、責任を持って世話をすること(管理組合では剪定しない)」というルールだったとか。


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結構猫を見かけました。居心地が良かっただろうなあ。


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築山らしき丘


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わくわくする小道

17〜21号棟東側の広場

 箱型テラスハウスと三角屋根テラスハウスに挟まれた一角にあるコモンです。先の広場に比べ芝生が綺麗だったため、かなり絵になる風景でした。



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なんとも幸せな雰囲気


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植栽のバランスが絶妙なんですよね。


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消えかかった猫看板


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歩いていくとどこに着くのだろうと、冒険心を掻き立てられる小道です。


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小道の十字路



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