公団ウォーカー

日本住宅公団金町駅前団地かなまちえきまえだんち

東京都葛飾区東金町 公団賃貸住宅 昭和43年4月入居開始

 金町駅の目の前に立ち並ぶ総戸数1417戸の中・高層団地で、「面開発市街地住宅」と呼ばれるタイプの都内第1号※とされています。公団住宅黎明期の昭和30年代、日本住宅公団は「団地型住宅」「市街地住宅」の2種類の手法で住宅建設を進めていました。「団地型住宅」とは郊外の広大な用地を全面買収し、そこに標準設計の住棟を配置するというごく一般的な手法。もう一方の「市街地住宅」とは、低層階が商店、上層階が公団賃貸住宅になっているビル(いわゆるゲタ履きアパート)で、土地は主に借地。「公団に土地を貸してくれれば、おたくの商店をピカピカのビルに建て替えてあげる。ただし上に団地を乗っけさせてください。」といった具合に地権者に交渉するというわけです。ところが、土地価格が上がるにつれ事業に協力してくれる地権者も少なくなり、権利調整の煩雑さも問題視されます。挙句にはビルの払い下げに関するトラブルも発生し、ついには裁判沙汰になるなど市街地住宅事業は暗礁に乗り上げていきました。そんな中、昭和40年代に誕生したニュータイプが「面開発市街地住宅」です。「面開発市街地住宅」は、大規模工場跡地を全面買収し、高層・高密の住宅を建設するもの。併せて公園や公共施設などを配置し、既成市街地の環境向上に寄与するというものです。日本初の面開発市街地住宅「森之宮団地(大阪府)」を皮切りに、各地で建設が進められていきました。ちなみに、有名な高島平団地も面開発市街地住宅に該当します。
※都内の面開発市街地住宅事業着手第一号が金町駅前、第二号が日の出町(足立区)でしたが、建設速度が異なるため、金町駅前より1ヶ月早く日の出町の入居が始まっています。





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常磐線の金町駅前です。すぐ目の前に巨大なツインコリダー型がそびえ立ちます。私が調べた限り、おそらくこの住棟がツインコリダー型公団住宅第一号だと思います。


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金町駅前団地建設を担当した日本住宅公団東京支所の鈴木功氏によれば、この用地は紡績工場跡地で、民間の不動産会社がコマ切れに宅地分譲する予定だったとのことです。しかし駅前立地なのもあり相当な高値となっていたため、不動産会社が公団に対し「特に駅に近いところについては、公団住宅を上に乗せた商店街にでもしないと買い手がつきそうもない。協力してもらえないか。」と打診してきたのが公団が介入するきっかけだったとか。公団がチェックすると、コマ切れ分譲計画は、公園や道路が不十分で都市計画的に問題があることがわかり、分譲を中止するよう説得している最中に、面開発市街地住宅が制度化されました。


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東京支所の鈴木功氏は、さらにこう述べています。 「公団は、駅前の道路や公園については、もう少し広いものにすべきだと考えて、都、国鉄などの協力も求めた。しかし、これらを都市計画事業として具体化する考えは、当分ないという話。駅前道路拡幅についての地権者の賛成も得られなかったため、現在のような形になってしまった。」「周辺の旧緑地地域、隣接する埼玉県の開発が進んで、金町駅への通勤客増加が目に見えていましたから、もっと資金と時間の余裕があればいいのにと思ったり、公共負担のありかたについて考えさえせられたりしました。」
※書籍、百万戸への道(株式会社住宅共栄編・1981年)より引用


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東急ストアの裏側は、広場になっています。高密ながら、広めのオープンスペースをとって市街地の環境改善に寄与しています。


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公団黎明期に建設していた「市街地住宅」は、街の中で「点」として建設されていきました。その後登場する「地区市街地住宅」は、都市再開発の一環として商店街等の沿道にまとめて市街地住宅を建設するもので、「点」から「線」へ発展しました。そして、次に誕生した「面開発市街地住宅」は文字通り「面」です。面開発市街地住宅は、土地所有者や借地権者との複雑な調整が必要だった地区市街地住宅とは異なり、一気に用地買収してしまいますから、非常に効率が高かったとのこと。公団内では「地区市街地住宅が鈍行列車なら、面開発市街地住宅は特急列車」とも言われていたそうです。


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団地の案内板はオリジナルのものが残っています。


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タイル片を組み合わせて作った案内板。美術作品のよう。


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光り輝く日本住宅公団の文字。いいですねえ。


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公団内で「特急列車」とも言われるほど効率がよかった面開発市街地住宅ですが、環境改善を目的に公園や緑地をたっぷりとったうえ、建設費が嵩む高層住宅を地価が高い市街地に建てているわけですから、そのコストがまるまる家賃に跳ね返ってきます。「中堅所得者向け」という日本住宅公団法の趣旨から逸脱しないよう、コストと家賃のバランスを常に考慮してきた公団でしたが、面開発市街地住宅の多くは目玉が飛び出るほどの高家賃になったと言います。「傾斜家賃制度」という、入居当初の数年間だけ家賃が割引かれ徐々に正規の家賃に近づいていく制度も面開発市街地住宅から始まり、やがて全ての団地に適用されるようになっていきますが、この頃から公団住宅への高家賃批判が次第に高まりを見せ始めます。昭和50年代に大炎上した「高・遠・狭」批判は、この頃から少しずつ燻り始めていました。


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面開発市街地住宅の目的の一つに「市街地の環境改善」というものがありました。当時は、大気汚染や公害が社会問題となっていた時代です。工場跡地を緑豊かな団地に変えてしまうことで市街地の中にグリーンベルトができるわけですから、確実に環境改善に寄与していました。密集市街地内の大規模な面開発市街地住宅は、もれなく地域の避難所になっています。


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面開発制度は、公団に課せられる建設戸数の重いノルマを達成するための便法と考えられ、そしてたまたま昭和40年という近年にない不況の年に、景気を刺激するための道具として登場したことも運の悪いことであった、と公団職員の回顧録に書かれていました。「『大工場が移転すると聞けば、相当な無理をしても跡地を手に入れた。周辺にまだ公害工場が残っていても目をつぶらざるを得ないので、その旨"お断り"し入居者を募集した時もありました。』 その結果、入居者から住工混在に伴う苦情や、学校・保育所不足などへの不満が、また自治体からは人口急増に対する拒否反応が、周辺居住者からは日照・通風妨害に対する反対運動が…という具合に、さまざまの問題が噴出するようになってきた」と、当時の公団技術者は振り返っています。


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このように当時は反省や批判の声もあったものの、結果として金町駅前には広大なオープンスペースが生み出され、密集市街地の中のオアシス的存在になっています。金町駅前が、普通の細切れ分譲地になっていたら、下町の他の駅と同様にごちゃごちゃとした街並みになっていたことでしょう。


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11階建てです。同じ建物の中に間取りが何パターンか用意されているようです。


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中層フラットが1棟。2DKと3DKの入れ子になっています。


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芝生があってこそ公団住宅。


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中層フラットはなんと全面タイル張りでした。


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駅前団地ということで、ちょっとデザインに力を入れたのでしょうか。ベランダの腰壁までタイルが貼られていました。令和2年現在もタイルは健在のようです。


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スケール感が異なる2棟


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駅から近く買い物も便利とあって、そうそう空き部屋が出ない人気団地となっています。


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2階部分


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でかいですね。こちらの棟は口の字型の棟です。真ん中は吹き抜けになっています。


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Eラウンジとは年長者を表すElderの頭文字。高齢者向けの集いの場所です。


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遠くから見ても存在感があります。

 金町駅前団地は以上です。最後までご覧いただきありがとうございました。(写真全30枚)

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