公団ウォーカー

都営桐ヶ丘とえいきりがおかアパート

東京都北区桐ヶ丘 都営住宅 昭和34年入居開始(旧桐ヶ丘1〜3号棟のみ昭和30年入居開始)

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 「桐ヶ丘団地」の名で親しまれていた団地です。令和4年現在、全面建替に向けて順次取壊し・新築が進んでいます。この団地があった場所は、陸軍施設(工兵隊・火薬庫)でした。接収解除・国有地払い下げにより、昭和30年に先行区1〜3号棟(第1種公営住宅96戸、現在の赤羽台桐ヶ丘アパート)が完成。昭和32年にE地区・W地区・N地区の各エリアが計画に追加され、昭和34年から入居が始まりました。昭和46年時点で総戸数4758戸、全140棟ありました。団地内に商店街や公共施設も設けられるなど一つの街を形成しています。

(2022年10月6日更新)



アイコン航空写真(昭和50年)



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設計にあたって、団地を東西に横切る緑地帯(谷筋)のつながりが意識されたそうです。当初案ではスターハウスが配置される計画だったようですが、ボックス型ポイントハウスと扇型ポイントハウスが各所に配置されました。

アイコンメゾネット型N53号棟



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6階建てのメゾネット住棟N53号棟です。TK58MB型と呼ばれるタイプで、2階建ての住戸が3層重なっているイメージです。下階には3畳の食事室兼台所と6畳の和室とトイレ、上階には6畳と3畳の和室がありました。浴室は設置されていませんでした。


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このようなメゾネット住棟は昭和30年代の都営住宅でよく見られました。下階への騒音が軽減され、寝室が共用廊下に接しないというメリットがありますが、ただでさえ狭い住戸のかなりの部分が階段で占められてしまうというデメリットもあります。


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ベランダのあるフロアの窓に換気扇らしき穴が新設されていました。おそらくこの部分に浴室が増設されたのではないかと思います。


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住棟の入り口です。建て替えを控えているため、空き家が目立ちました。


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共用廊下です。寝室がある上階には共用廊下が無いため、プライバシーが守られます。


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小型焼却炉があるではないですか。


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これは貴重ですね。当然現在は使われていませんが、こうして形が残っているのは大変珍しいです。


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桐ヶ丘アパートは4階建てが多いのですが、この棟だけ6階建てのためとても存在感があります。


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住棟東側のダストシュート臭突が6階のレベルまで立ち上げてあります。


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西側のダストシュートはなぜか5階のレベルまで。


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E-45号棟と無印1〜3号棟(現在の都営赤羽台桐ヶ丘アパート)のみ住所が「赤羽台」になります。


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右端のNO-1号棟〜NO-3号棟が昭和30年に先行して完成した住棟です。


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給水塔、メゾネット型、ポイントハウスの組み合わせが素晴らしい景色です。


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谷筋の緑地帯が残っているおかげで団地の密集感が軽減されています。


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中層フラットのほとんどが4階建て。ポイントハウスが5階建てです。


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遠くにはURヌーヴェル赤羽台(旧赤羽台団地)が見えます。


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こちらN25号棟は大胆な間取り改修が行われています。浴室を増設するため、壁をぶち抜いて3戸を2戸に改修しています。入居者の退去を伴う大規模な工事だったものと思われます。


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浴室を増設した結果、一部の窓が塞がれています。


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こちらの棟は南側に浴室+1部屋を増築しています。


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アイコン桐ヶ丘中央商店街



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商店街付近には「赤羽郷」というバス停があります。第二次世界大戦後、日本は深刻な住宅不足に襲われました。「この冬を越せるかどうか」というくらい深刻だった時代です。この場所にあった陸軍の元火薬庫にも戦災者や引揚者が身を寄せ合って暮らしていたといい、一時は500世帯2000人もいたそうです。ここに住み着いた人たちは、この地を第二のふるさととして「赤羽郷(あかばねごう)」と呼ぶようになりました。桐ヶ丘団地は、この赤羽郷があった場所に建設されました。


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ピロティを抜けると昭和レトロゾーンです。


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広場を囲むように焦点が並んでいます。


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昔ながらの玩具店おもちゃのふくしまさん


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10円カーレースやジャンケンマシーン!懐かしい!


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10円クレーンゲーム「チャンスラー」も楽しい!


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高瀬うどん店さん


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書いてある電話番号がまだ都内9桁だった頃の番号です。東京03-XXX-XXXXだったのが03-3XXX-XXXXに変更されたのは1991年のことでした。


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鶴岡生花店


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商店街の裏側(西側部分)


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都道沿いは下駄履き住棟が張り付いています。


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団地に根ざしたお店が並びます。


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「e28B」号棟。特殊な付番です。


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「プラッシー」があるお米屋さん


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地方都市のアーケード街のようですね。


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北区体育館の横のE-45号棟にはスーパーと診療所が入っています。


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アイコンN街区の風景



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n67号棟です。アルファベットが大文字の棟と小文字の棟があります。はっきりとした理由は分からないですが、グレードが高いとされていた階段室型が大文字、ややグレードが下とされていた片廊下型に小文字が多いことから、第1種公営住宅が大文字、より低所得者向けの第2種公営住宅が小文字なのではないかと推察します。(わかる方がいましたら連絡ください!)


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共用廊下


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緑地帯の緑が住棟を飲み込みそうです。


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給水塔が大迫力!



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