日本住宅公団石神井公園団地
東京都練馬区上石神井 公団分譲住宅 昭和42年入居開始
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石神井公園の近くに建っている全9棟、総戸数490戸の分譲公団住宅です。平均床面積は約70平米とかなりの大型。建設用地確保が困難になり始めていた当時としては、都心と連絡の良い恵まれた立地といえます。団地設計時、分譲用の標準設計が十分に用意されていなかったことから、日本住宅公団東京支所設計課と市浦建築設計事務所の協働により「固定された既成概念を打破し(中略)常に新しい生活空間を意識し、時代に即応した生活を理解して※」全く新しい型として設計されました。ところが、その野心的な試みは公団内部の猛反対により大幅な修正を強いられ、目玉だった囲み配置もわずかに面影を残すのみとなっています。当団地は、公団の配置設計史上大変有名な存在で、公団の配置設計を知る上で非常に参考になる団地です。
※UR都市機構所蔵「石神井公園団地設計記録」より
石神井公園団地の解説
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雁行型(がんこうがた)とよばれるギザギザ状の住棟が配置されています。住棟の端部のバツ印になっている部分はピロティで、南北の導線を確保しています。
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雁行型住棟です。石神井公園団地のために開発された型です。
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雁行型住棟に挟まれた空間は、広々とした芝生空間になっています。
1-4(UR都市機構所蔵「石神井公園団地設計記録」より抽出)
石神井公園団地の設計の変遷です。左上の絵が団地の基本概念になります。2棟の間にプライベートな空間を設け、そちらに向けて居間を配置するという「ゆるい囲み配置」を基本形として設計が始まりました。様々な検討がなされ、囲みが強調されたA案から始まり、一応の完成形としてG案が公団に提示されました。ところがこのG案に公団内部から強力な反対意見が上がります。その内容は、積算上の手間や建設スケジュール、日照、プライバシー、通風、遊戯施設の騒音問題など様々な問題点。これに対し設計者は自信にもとづき相当な説得を行いましたが結局大幅な設計変更を余儀なくされたといいます。その結果、図右下のように囲み配置が大幅に縮小される形で実施されることとなりました。設計者の夢、破れたりでありました。
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当初予定していた囲み配置は実現できずでしたが、その面影は見ることができます。2棟に挟まれた美しい共有の庭は、石神井公園を象徴する風景となりました。
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雁行型住棟
1-7(UR都市機構所蔵「石神井公園団地設計記録」より)
雁行型住棟は図左側のような間取りになっています。家の中心となるLK(リビングキッチン)から南北が見渡せる構造になっています。占有面積は78平米で現在のマンションと比べても遜色のない広さです。
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首都圏整備法の緑地地域(いわゆるグリーンベルト)のため厳しい建築規制が敷かれた地域でしたが、東京都との協議により「一団地の住宅経営」の事業申請を行うことで緑地指定を解除が可能となりました。認められた容積率は60%、建蔽率は20%で、緑地地域解除の条件として団地内とその外周部に公園緑地を相当な面積を確保することが求められました。
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住戸面積が広く立地にも恵まれた石神井公園団地は、分譲価格も高くなることが想定されたため、比較的年齢層が高く子供がそれなりに成長している家族をモデルとして設計されました。敷地を見渡すと、子供向けの遊具が少ない一方でアートを感じるオブジェやモザイクタイルアート、大人が寛げるベンチなどが随所に配置され、全体的に「大人の空間」となっています。
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敷地のあちこちに配置されているオブジェ
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団地中央に設けてある広場は、当初意図したこの団地の人々の庭(囲み配置の中央部)の名残りです。設計記録には次のように記されています。「この広場は、都会的なフンイ気の小公園ともいうべきで、朝の散歩の後でここに立ちよりベンチで新聞を読む、一夏の夕べに子供をつれて親子ともども花火を楽しむ、一春秋の午後、近隣の主婦たちがプレイロットで遊ぶ子供を見守りながら話をする場所になる。その様なイメージを我々は持っていた。集会所がこの中庭に入り西側の棟が延びてきたために、このスペースは狭くなった。この狭さを少しでも視覚的に広げるために、西側平行配置の部分は二戸程住戸を抜き、南北に通ずるペデストリアンルートに結びつけてピロティとした。」とあります。
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団地の東側入り口付近にあった銘板
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石神井公園団地にも立派な給水塔がありました。
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住棟間の通路はピロティとなっており、南北方向の通り抜けが容易になっています。団地ができたころは、団地南側に市街地が広がっていました。したがって、ここを抜けて団地南側の市街地(商店街)にアクセスしやすいよう設計上の配慮がなされています。なお、プライバシー確保のためピロティ横には高さ1.8mの壁(目隠し)が設置されました。
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ピロティ部分にはモザイクタイルアートが設置されています。棟ごとに全て異なるデザインでした。ハイクラスな団地の証です。
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団地のヘソとなる管理事務所周辺の広場と居住空間を分離するために設けられたデッキです。設計記録には「上部住戸の階段室は歩行動線の真ん中に降りてくることになる。このために『これが我が家』という感じを階段室に入った時に感じさせるよう、ピロティ上部住戸については動線の流れの端に降りることの出来るよう2階からデッキを利用して出入出来るようにした。」とあります。
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通過交通を排除したい設計者と団地による地域の分断を避けたい(通過交通ルートを作りたい)行政の狭間で攻防が繰り広げられたわけですが、結局設計者の願いはかなわず団地の東側から南西側に抜ける高幅員道路ができることとなりました。しかしながら、時代が経過しいくつかの災害も経験した今日の日本の街づくりにおいては、むやみに袋路や行き止まりを作ることは防災上好ましくないこととされているため、結局このような形になったのはベストだったのではないかと考えています。
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雁行した住棟が切れ目なく並んでいるため、住棟の妻面がほとんど見えない独特の景観を作り出しています。
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昭和42年当時、北側にもバルコニーを配した住戸はかなり珍しい存在でした。
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団地東側のバス停側入り口です。
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団地東側は現在「さくらの辻公園」となっていますが、団地竣工当時は汚水処理場が建っていました。昭和42年当時は、このエリアもまだ下水道未整備だったため、水洗トイレを設置するために自前の処理場が必要だったわけです。
石神井公園団地、夏の風景
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妻面にも窓がついています。
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芝生の管理が素晴らしい!
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石神井側沿いの住棟
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石神井公園団地、春の風景
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団地西側の区道
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