日本住宅公団高島平団地
東京都板橋区高島平 公団賃貸・分譲併存 昭和47年入居開始
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敷地面積36.5ha。総戸数は10170戸(賃貸8287戸・分譲1883戸)で、日本住宅公団が手掛けた団地の中ではナンバー1の規模(戸数)を誇る面開発市街地住宅です。当地は、もともと徳丸ヶ原・赤塚たんぼ・徳丸たんぼ等と呼ばれる水田地帯でしたが、周辺に工場が立地し始め水質汚染が発生するなど営農に適さない土地となりつつあったため住宅不足解消のための開発適地と見られるようになりました。ところがこの地域は、首都圏整備法という法律で近郊地帯(緑地地域=グリーンベルト)に位置付けられていたため、宅地開発が制限されていました。一方で、この法律による開発規制は実効性に乏しく、無届建築が横行するなどかえって環境悪化を招いているケースがあったことや「地元の発展を阻害される」と緑地地域内の自治体が猛反発していたことから、都は「土地区画整理事業」や「一団地の住宅経営」により一定の公園面積が担保される場合、緑地地域の指定解除を行える方針を示していました。このような背景があり、当地においても区の働きかけのもと「板橋地区土地区画整理事業」として事業が始まりました。途中からは日本住宅公団が事業に参画し、地主たちから坪2万1千円で約36万坪の土地を購入したうえで高島平団地の建設が始まりました。ちなみにこの「高島平」という名称は、江戸時代に砲術家の高島秋帆(たかしましゅうはん)が当地で日本初の洋式砲術と洋式銃陣の公開演習を行ったことに因んで名付けられました。これにより団地完成以前に開業していた都営地下鉄6号線(現三田線)の志村駅は、高島平駅に改められました。
高島平団地賃貸エリア

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高島平駅以東の高層エリアが賃貸住宅です。暗渠(前谷津川緑道)周りと下駄履き住棟(商店街)を除き、ほぼ南面平行配置になっています。中央部にはL形とV字形の住棟があります。

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このど迫力!圧倒されますね。どれだけ多くの人が住んでいるのだろう。もはや高島平団地の存在自体がレトロフューチャーです。

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商店街と駅に近いプレイロットに集まる子供達の数は相当なものです。団地設計にあたり、高島平駅に駅前広場が存在しないことから、駅から歩道橋とピロティでシームレスにつながるこの広場を「駅前広場」と位置付けています。

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高島平駅に近いエリアは1階が商店街になっている下駄履き住棟です。団地開発以前は全くの田園風景であり、生活に必要な商業施設は皆無でしたので日本住宅公団の綿密なリサーチのもと、計画人口が何人で食料品店の面積がいくらで採算ベースにのせられるかなど検討がなされ、このようなレイアウトになりました。

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子供も大人も大集合。

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商店街の一階はこの賑わいです。ゲームに興じる少年、昼から飲んだくれるおっちゃん。みんな楽しそう。

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高島平は、高層・高密の筆頭格となる団地です。当初の事業計画では、36ヘクタールの集合住宅用地に中層住宅約4800戸程度を建設することが想定されていました。ライフラインや都市施設の容量もそれを前提に決められていたものの、地価高騰による団地建設用地の入手難等、社会情勢が大きく変わったため高島平団地は高層・高密度の面開発市街地住宅に急遽計画変更(所管替)となり、計画戸数は11000戸に倍増することとなります。給排水や電力容量等の再チェックのうえで各企業者に増強を要請、地元自治体には小中学校の定員計画増を交渉、都市計画の住居系用途地域を商業系用途に変更するなど様々な調整を経て、現在の形になりました。

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3階以上のすべての開口部に転落防止柵が設置されています。実はこの柵は、飛び降り自殺防止のために設置された物です。団地ができたばかりの頃、高層アパートがまだ珍しかったうえ、容易に上層階に立ち入れる構造だったため年間1〜5人ほどの自殺志願者がはるばるやってきてしまったそうです。自殺者の8割強は団地外の外来者で、わざわざ新潟からやってきた人もいました。
事態が一気に深刻になってしまったのが、昭和52年のこと。3月11日に入試失敗を苦にして女子高校生(外来者)が飛び降り、4月13日には親子3人(外来者)の心中自殺が発生しました。このことをマスコミが大きく取り上げると「自殺の名所」として有名になってしまい、この年から件数が激増。昭和53年に屋上を閉鎖するも効果はなく、昭和55年〜57年にかけて50名を超える飛び降りが発生してしましました。公団・行政・自治会が力を合わせて自殺防止の取り組みを行いましたが限界があり、昭和56年に公団は泣く泣く約7億円の費用をかけて約8千箇所にフェンスを設置する羽目になりました。この物理的措置には相当の効果があり、現在は「自殺の名所」と呼ぶ人はほとんどいなくなりました。

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ダストシュートが現役で稼働しています。もしダストシュートが無かったら、数千戸の住民が一気にエレベーターでゴミ出しに出てきてしまい大混乱なわけですから、廃止するわけにはいきません。

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住宅・都市整備公団時代の銘板。

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無印良品とのコラボ住宅の内覧会に行ってきました。非常に人気が高く、抽選になっていました。

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浴室上部の窓は懐かしい木製の枠。

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在来工法の浴室も、無印良品のブランドが付くと、さまになりますね。

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暗渠沿いのツインコリダー型住棟です。この建物の中がすごいんです。

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このサイバーな空間!ツインコリダー型住棟の吹き抜け部です。下のパイプもすごいですが、上の転落防止ネットが雰囲気を倍増させています。

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バックヤード感がすごいですね。ちなみに高島平用に開発されたこのツインコリダー型は、上階の住居に関連する給排水等の設備が1階部分の公共施設や商業施設に干渉してくることがないよう、1階と2階以上で分離したような設計になっています。1階施設の排気設備は、この中庭部分に排気されることがないよう建物上部まで排気管が立ち上げてあるそうです。

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共用廊下

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上層階

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1フロア42戸で14階建てです。つまり1棟で588戸あります。化け物みたいな規模ですね。

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新しく設置された案内板

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高島通り沿いから

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高島通りと団地の間は高幅員の緑地帯になっており、自動車騒音は軽減されています。

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未来だわあ。

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ここにもプリン山

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L字型住棟のそばのプレイロットは「Lちゃん広場」と名付けられています。

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ツインコリダー型

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高層住棟が立ち並ぶ高島平団地では、圧迫感を感じないよう住棟配置上の配慮がなされています。建物が一直線にどこまでも並んでいると、かなり圧迫感を感じるため、所々直角方向にツインコリダー型を配置して、視界が遠くに抜けすぎないようにしてあります。プレイロットなど広場も、あまりにだだっ広いと圧迫的な印象を与えるらしく、中規模のものが各所に点在するようになっています。

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V字型住棟です。区画整理事業により、道路配置が先に決まっていたため、中途半端な大きさのこの街区にちょうどピッタリはまるV字型が配置されました。

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窓の数が凄すぎてくらくらします。

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西側エリアは基本的に分譲棟ですが、新高島平駅前の3-10-1号棟(下駄履き住棟)のみ賃貸となっております。1階は「新高島平ファミリー名店街」です。

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高島平駅前から

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住棟の開口部がフェンスでガードされているのはわかりますが、街灯までガードされているのは何故?

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空中都市感

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高島平駅前の親水広場

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V字型住棟

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後ろに見えるのは清掃工場の煙突。
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(c) 2005 Terui Keita