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住宅・都市整備公団 千葉ニュータウン 内野団地 (ちばにゅーたうん うちのだんち) 千葉県印西市内野 公団賃貸・分譲並存 昭和59年4月入居開始 |
千葉ニュータウン内野団地は、まことに面白い歴史をたどった団地です。 内野団地は、昭和50年〜51年頃から建設が始まり、躯体がほとんど完成していました。しかしながら北総線(当時の住宅・都市整備公団千葉ニュータウン 線)建設工事の遅れから千葉ニュータウン中央駅開業が出来ず、通勤の足が確保できないことが判明し、やむを得ず内装工事を中断することとなりました。つま り建物をスケルトンのまま放置というわけです。 そして昭和58年ごろ、ようやく千葉ニュータウン中央駅開業の目処が立ったことから工事を再開しましたが、その間に社会を取り巻く情勢は大きく変化して いました。住宅事情は大幅に改善し、新築住宅の面積は広くなり、需要もかつてほどではなくなっていたのです。そこで公団は、約半数の住棟の設計を大胆に見 直し、狭い2戸をつなげて1戸に改造する工事(いわゆる2戸1)を行うこととなりました。 100平米を超える大型住戸は、当時のバブル景気もあり、空家も少なく好調でした。 しかしそれから20年ほど経つと、今度は平成不況と世帯人数減少の時代がやってきます。2000年代には空家が増え続け、特に「広すぎる」2戸1住戸の空きが顕著となってきました。 そこで、今度はUR都市機構が新たな一手として「ステージセレクト住宅」なるプランを考案。広すぎる住戸の部屋を塞ぐ工事を行い家賃を下げて募集し、入居後希望すれば家賃が上がるのを条件に塞いだ部屋を復活させてくれるという妙案です。 UR内部でも賛否両論だったらしいですが、今では全国で同じような試みが行われています。 |
1-1 2戸1改造住戸の間取りです。ベランダを通らないと他の部屋にいけないプランがありますが、当時はそれでも通用したとのこと。(UR都市機構団地LOVERSツアー配布資料より) 1-2 千葉ニュータウン中央駅前です。千葉ニュータウンは道も建物もみんなダイナミック! 1-3 街の中には丁目ごとに案内図がありました。 1-4 1-5 さすが公団の誇るニュータウン。歩車分離は昔から徹底していますね。 1-6 1-7 バルコニーや庇が丸みがかっていています。 1-8 昭和30〜40年代の団地に比べて間口がずいぶん広くなっているのがわかりますね。 1-9 いつの時代も公団住宅は緑がいっぱい。 1-10 集会場へと至る通路。 1-11 。 1-12 1-13 1-14 スキップフロア型やポイントタワー等様々な種類の住棟が組み合わされています。 1-15 1-16 緑が多くて良い団地ですね。 1-17 DIY住宅を見せていただきました。押入れがおしゃれなワークスペースに。 1-18 1-19 台所もカフェのように。 1-20 1-21 1-22 1-23 2戸1改造住戸です!もともと風呂場として計画されていたスペースがトイレになっていました。 1-24 1-25 正面の住棟は未改造、右隣の住棟は2戸1改造済み住棟ですね。階段室部分を手前に足して、もともと住戸の入り口だった場所は室内に取り込まれています。 1-26 団地の周辺はのどかな風景が広がっています 1-27 これは縦に2戸1改造(メゾネット化)した住戸の階段です。スキップフロア型住棟でこのような改造が行われています。 1-28 1-29 1-30 この部屋は専用庭に降りられるようになっていますね。 1-31 1-32 1-33 1-34 1-35 1-36 昭和40年代の団地に比べて水周りが豪華ですねえ。 1-37 1-38 プリン山がここにも。 |
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