公団ウォーカー

日本住宅公団神代団地じんだいだんち

東京都調布市西つつじケ丘・狛江市西野川 公団賃貸住宅 昭和40年入居開始

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 総戸数2,022戸(当時)の大規模団地で全戸UR賃貸です。旧北多摩郡神代町じんだいまちが団地名の由来で、近隣に都立神代じんだい植物公園や深大寺じんだいじがあります。京王線新宿駅から12.5kmの『つつじヶ丘駅』から徒歩5分〜18分程度の距離。同年に供給された団地の中では、竹の塚第二・第三団地と並ぶ最も都心アクセスが良い団地であったため、新築時の入居者抽選は高倍率になったといいます。周辺に映画関連会社が多く立地しており、神代団地はさまざまな映画やドラマのロケ地として使用されました。2010年以降、団地商店街にカフェやスイーツ、雑貨店等が出店するようになり、テレビでも度々紹介されるプチ観光地となっています。住み心地も治安もとても良い団地です。

(2022年3月3日更新)

アイコン神代団地の概要

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敷地面積は約18.8ヘクタール(東京ドーム約4個分)と広大です。一級河川野川が団地を横切っており、中央部には商店街・診療所・幼稚園が配置されています。東西の広い遊歩道が特徴で、プレイロットや利便施設がそれにぶらさがる形になっています。


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敷地は大変ゆとりがあり、容積率はたった51.4%(完成時)です。駐車場は団地外周部にまとめられているため通過交通がほとんどなく、団地全体が公園のようです。敷地内には中央グラウンドの他に10ヶ所以上のプレイロット(公園)があり、そのうち5ヶ所ではボール遊びも可能となっています。これらのスペースは団地住民の共益費で管理されているものですが誰でも利用でき、地域に欠かせない存在となっています。


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今では想像できませんが、完成当時は砂塵が舞い「神代砂漠」と呼ばれることもあったそうです。「緑を増やそう」と昭和51〜52年ごろに、調布市からイチョウ、まてばしい、つげ、あじさい、狛江市から日光ヒバ、つつじの苗木を譲り受け、住民と自治会みんなで植樹(計1,608本)を行ったそうです。2013年から、団環と呼ばれる屋外環境整備事業が行われ、育ち過ぎたり密集し過ぎた樹木の整理が行われるとともに、園路が全て改修され、ご覧の通り美しく開放的な団地に生まれ変わりました。


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神代団地の中央部にはヒマラヤスギ等の高木が集中配置されており雑木林のようになっています。そして、団地の街路は雑木林の方向に行くように設計されています。団地のどこを歩いていても雑木林の存在を感じられるため、まるで森の中にいるような気分になります。神代団地について、UR募集サイトの住まいレポートにも「まるで神聖な森に包まれているかのような豊かな自然」と表現されています。


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1-5(UR都市機構資料より引用)
神代団地新築時の写真です。右奥に給水塔が見えます。団地ができた頃、旧調布市金子町一帯はまだ市の上下水道が整備されていなかったため、団地内は日本住宅公団直営の上下水道が利用されていました。昭和43年に調布市・狛江市に水道施設を移管するまで、上下水道料金を公団に支払っていたわけです。水源は団地内数ヶ所に掘られた地下100mの深井戸で、団地内の浄水場で水道法に適合する水質に処理されたうえで各戸に供給されていました。下水は昭和53年まで公団汚水処理場(現在の59号棟が建っている場所)で浄化され、野川に放流されていました。


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団地を横切る野川は、かつて調和小学校付近から狛江市方面(南方向)へ向かう小さな小川で、現在とは流路が全く異なりました。団地整備に合わせて、敷地内のみ野川新ルートが開削されましたが、団地を出た先の成城方面は未開通、つまり調和小学校前の分岐点から団地の東端部までの区間は「行き止まりの池」になっていました。団地ができてすぐの昭和41年6月の台風で旧野川が氾濫し、狛江市内1000戸以上が水に浸かる大惨事となりました。この時、神代団地も20号棟の床下すれすれまで水が上がったそうです。それを受け、成城方面の未開通区間が猛スピードで掘削され、翌年6月には新・野川が全通。以降、団地で水害は発生しなくなりました。旧野川は現在、野川緑地公園(遊歩道)になっています。


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団地の広場6ヶ所に設置されたコンクリートの板。これは、ランドスケープデザイン研究で有名な故・池原謙一郎氏が日本技術開発株式会社に在籍中設計を担当したという「プレイウォール」です。サッカーゴールやテニスのネット、野球のストライクゾーンがペイントされ、ボール遊びができるようになっています。2015年ごろ、52号棟前のプレイウォールが団環工事の仮設駐車場設置のため撤去されましたが、驚くことに工事が終わるとすぐ同じ場所に完璧な姿で復元されました。
※4号棟前にあったものは芝生広場整備に合わせて撤去されたため、現存するのは5ヶ所です。


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団地商店街には関西系激安スーパー『サンディつつじヶ丘店』が入っています。団地完成時、このスペースには『京王ストア』が入っていました。京王ストア撤退後、公団と自治会は、新たなスーパーマーケットの誘致を行いました。関心を示したサンディが、駐車場新設を条件していたことから、34号棟の1階部分(京王ストアだった場所の一部)を駐車場に転用しました。また、サンディの向かい側には八百屋の『ふじ青果』が出店し、地域住民の生活を支えています。


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2009年末にカフェ『手紙舎つつじヶ丘本店』(開店当時は手紙舎&ヒバリという名前でした)がオープンしました。それに誘われるように2014年に染布や雑貨等のアトリエショップ『kata kata』、2018年にテキスタイルデザイナーのショップ兼アトリエ『pole-poke LAB』、2019年に放牧牛乳とスイーツの『山本牛乳店』がオープンし、土日には全国からファンが集まるプチ観光スポットになりました。店の雰囲気と建物のレトロさがぴったり合っています。


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手紙舎つつじヶ丘本店では、プリンアラモードが好評でちょっとした名物になっています。手紙舎を運営している株式会社手紙社は、もみじ市や東京蚤の市などのイベントの企画を行なっていることで有名な会社です。過去に団地内でも「もみじ市」を開催していただき、大変楽しませていただきました。


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型染で有名なkata kataさんのお店。ここで購入したエコバックと風呂敷は我が家のお気に入りです。店舗の奥が作業場となっており、いつもお仕事なさっている姿が見えます。


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2019年に『山本牛乳店』はオープンしました。「お米の福山さんの跡地は、ソフトクリーム屋さんになるらしいわよ」と工事前から団地中で話題になり、開店早々食べに行ったのは良い思い出です。山本牛乳店は北海道中標津「山本牧場」の直営で、牧場オーナーの娘さん夫婦が経営。開店早々コロナ禍で大変な時代に突入しましたが、グラスフェドミルク(穀類ではなく牧草を食べて育った牛の牛乳)の爽やかな味と、それを使ったスイーツの味が評判を呼び、あっという間にテレビで取り上げられるほどの有名店になりました。団地住民からも大変愛されており、団地内の幼稚園の子たちもママにおねだり。夏になると団地内はソフトクリームを持った人たちがたくさんになり、まるでデパートの屋上遊園地のようです。


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神代団地自治会は、なんと組織率8割。多摩地区の団地自治会活動は大変活発で、様々な楽しいイベントを企画運営しています。正月の餅つき大会、盆踊り、団地祭、広場コンサートのほか、定期的に行われる幼児向けハイハイ広場、居酒屋じんだい、ふれあい喫茶など活動の幅は凄まじいものです。特に盆踊り大会は2日間にわたり、露天も多数出店する本格的なものです。


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盆踊り大会「お子様向けの時間」では、やぐらの上でちびっこたちがアラレちゃん音頭を踊り、お菓子の詰め合わせをもらうのが恒例行事。団地以外ではなかなか味わえない貴重な思い出作りができます。こうしたお祭りは、新しいまち「団地」が子どもたちにとっての「ふるさと」になるよう願って始まったのだそうです。


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子どもたちに大評判のすいか割り


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毎年秋に行われる団地祭では、フリーマーケットや模擬店の出店のほか、太鼓・空手など様々なサークルの発表が行われます。いわば団地の文化祭です。私も毎年、団地祭にて団地写真展を開催しています。


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団地商店街の前にある神代団地最大の公園「すりばち公園」です。アリ地獄のようなすり鉢状の遊具は、いつも幼児と小学生でいっぱいです。すりばち公園と商店街と中央グラウンド(球技場)が団地中央部に固まって立地しているため、平日夕方(小中学生の放課後)と週末の昼間は、昭和時代を思い起こさせるような賑やかさになります。かつて、すりばち遊具の横には小さなプールがあったそうです。昭和63年10月になるとプールは撤去され、代わりに築山が築かれました。その築山も木がぼうぼうになり、団環事業で撤去され、複合遊具のある遊び場に改修されました


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団地商店街前にはシンボリックなヒマラヤスギの木が立っています。団地建設後に植えられ、ここまで大きく成長しました。ヒマラヤスギの前には、X字型の鉄製オブジェが設置されていたそうです。


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団地の中央部には「つつじがおか幼稚園」があります。運営する学校法人竹早学園は、東京師範学校(現・東京学芸大学)の卒業生が設立した「東京府教育会附属保姆傳習所」がルーツで、明治21年より130年の歴史を持つ名門だったりします。神代団地が建設された昭和40年ごろといえば、団地新設に伴う人口増により、各地で幼稚園不足が深刻な問題になっていました。つつじがおか幼稚園は日本住宅公団の誘致により開園し、神代団地のグラウンドを運動会や体操等の行事で使用することが認められています。


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一時は高齢化が進んでいた神代団地も、最近は子育てファミリー世帯がたくさん入居してくるようになりました。自治会が定期的に開催している「こどもふれあい広場」では、集会場の大広間で思う存分らくがきやハイハイ遊びが出来て、お友達作りにも一役買っています。


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神代団地の間取りは、駅に近いエリアは40平米の2DKが中心で、団地中央バス停より東のエリアでは39平米の2DKと50平米の3DKが入れ子になっている住棟が中心です。


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こちらが南側に一部屋増築した住棟です。39平米2DKだった部屋は52平米3DKになり、50平米3DKだった部屋は63平米4DKになっています。昭和61年、居住者の同意が得られた棟で行われました。増築事業は、多摩地区ではまず小平団地で試験的に行われました。アンケートで東京支社管内では「神代団地の増築希望者が他団地に比較して圧倒的に多い」ということが分かり「神代に増築の成功」を目指し増築に必要な都市計画(一団地の住宅施設)変更の手続きが始まります。ところがこの都市計画変更にあたり、東京都から「荒地になっている汚水処理場跡地も一括して使途変更手続きをすること」と指導されてしまったため、想定外の「増築と汚水処理場跡地のワンセット問題」が持ち上がることになってしまいます。実はこの頃、汚水処理場の跡地利用を巡り、高層棟を新築したい公団と、図書館を誘致してもらいたい自治会で真っ向対立していたところでした。そこに急に持ち上がった増築問題でした。今度は「新築を認めてでも増築を実現して欲しい派」と「新築をやめさせるためなら増築断念もやむ無し派」で自治会委員の意見が真っ二つに割れてしまったといいます。結局、同年9月末に新築反対を主張していた委員が相次いで辞任され「増築実現のためなら高層棟の建設やむなし」が総会で承認されました。そして新築された59号棟には、後にも先にもない「神代団地居住者優先」方式が取られました。公団内部でも反対が強かったそうですが、担当の方々の大きな努力で実現し、70%の居住者が神代団地既存棟からの移転者で占められたそうです。


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ゴミの収集方法は、時代と共に何度も変遷を遂げてきました。入居当初から調布地区ではダストシュートを一度も利用していません。厨芥は、近所の養豚業者がリヤカーを引いて回ってくるので、その人に直接手渡ししていました。豚の餌にならないその他のゴミは住棟妻面に設置された小型焼却炉で燃やす方法が取られました。養豚業者の廃業により厨芥回収は終了し、次は1階に置かれたポリボックスにゴミを投入し、それを市が回収する方式になりました。ところがこの方法は、いつでも捨てられて便利な反面、不衛生かつ悪臭が酷く、数年後には指定時間にポリ袋に入れて出すように変わりました。狛江地区では入居後わずかな期間、ダストシュートを利用してみたものの、やはり悪臭やゴキブリの発生、掃除の大変さが問題になり、調布地区と同時期にポリ袋回収に変わりました。焼却炉はプラスチック製品の普及で有毒ガスが発生するようになり、昭和48年に使用中止となっています。平成になると分別回収が始まり、烏避けのボックスを各階段でお金を出し合って購入し、大変衛生的になりました。平成中期から調布市・狛江市ともに指定ゴミ袋(有料化)が始まっています。


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商店街と中央グラウンドの間にあるテーブルとベンチの利用率が非常に高いです。休日になると、弁当を食べているママ友集団やギターの練習をしているおっちゃん、山本牛乳店のアイスクリームを食べている親子など、とても心地のいい場所になっているようです。木陰とベンチの存在が団地の居心地をとても高めているのが分かります。


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神代団地は令和4年現在、全てリニューアル3と呼ばれるリノベーションの対象住戸となっており、未リフォームの部屋の住民が退去すると随時建具と設備の総入替が行われます。和室の洋室化のほか、システムキッチンや自動お湯張り浴槽の設置が行われ、近代的な設備は整っています。階段室型のため南北両面が外気に面しており、真夏と真冬以外は一日中窓を開け放って暮らしている方が多いです。風呂とトイレの網戸は必須ですが、入居時には設置されていないのでJSか自治会の指定品の購入を強くおすすめします。


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神代団地の中にはいくつかバス路線が乗り入れており、比較的頻繁に運行されています。最寄りのつつじヶ丘駅のほか、成城学園前駅と狛江駅にもバスが出ています。つつじヶ丘駅南口のバス折り返し場ができる前は、品川通りのつつじヶ丘駅南口信号からやや東に行った場所(ミニストップあたり)に折り返し場があったそうです。団地ができてから数年間は、神代団地始発の二子玉川園行きの東急バスも運行されていたのだとか。


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団地の北側、3〜7号棟前にはちょっとした桜並木があります。ここにある遊歩道は八反田用水の跡になります。団地が建設される前は、田んぼを潤す清らかな用水路だったと思われますが、都市化とともにドブ川になったそうです。団地入居から4年後の昭和44年に自治会の働きかけにより、蓋がされ暗渠になりました。


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団地の広場が賑わうのは、平日ですと14時ごろから夕方にかけてです。団地内の幼稚園の降園時間になると、ちびっ子たちが遊び始め、15時ごろからは小学生たちが一気に加わってきます。団地中央の『すりばち公園』のすりばち遊具は、幼稚園児から小学校高学年まで幅広く遊ばれる人気遊具で、近隣からもたくさんの人が訪れます。


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すりばち公園のとなりに広大なグラウンドがあるのが神代団地の素晴らしいところ。サッカー・野球・テニス・バドミントンなど、みなさんお互いにうまく距離をとりつつ楽しんでいます。そしてグラウンドの前にはカワセミが翔び交う野川遊歩道があります。数ある公団住宅の中でも、神代団地は商店街・プレイロット・グラウンドの配置が秀逸です。


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中央グラウンドでは凧揚げも。


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2012年ごろから神代団地では耐震補強工事が行われました。耐震ブレースや耐震スリットを設置し、一部住棟ではダストシュート下部の除却が行われ、現行耐震基準に適合させました。


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花いっぱいの中央広場


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団地中央を流れる野川は、国分寺付近を源流にし、小金井・深大寺・神代団地・成城を経て二子玉川へ至る一級河川です。神代団地から野川沿いのサイクリングロードを自転車で走ること30分ほどで二子玉川に到着します。神代団地から成城のあたりまでカワセミが多く見られることから、バードウォッチングのおっちゃんたちが大きなカメラを構えているのを見かけます。


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夕暮れの神代団地はロマンチックです。建物の横にくっついている煙突が焼却炉跡です。廃止以前は、コンクリートのボックスの中に鉄製の煙突管が入っていました。


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毎日16時45分には、子供たちのお帰りの目安となるチャイム「わが町調布」が防災無線から放送されます。17時になると狛江市側で狛江市の歌「水と緑のまち」が流れます。この防災無線のスピーカーは団地の各所に設置されています。実は団地が完成したばかりの頃は、朝8時、正午、夕方5時と、1日3回も爆音チャイムが鳴り響いていたらしく、市に対し減音を求める運動が巻き起こりました。このチャイム問題が神代団地自治会結成のきっかけの一つになったのだとか。


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3号棟は公団住宅で初めて中層WPC工法(Wall Precast Concrete)を実用化した記念すべき住棟です。予めコンクリート板を製作し現場で組み立てていく工法は、多摩平団地等の低層棟(テラスハウス)で既に採用されており、Tilt-Up工法(斜めにつまみ上げながら組み立てるためTilt-Up。実は大成建設の商品名。)と呼ばれていました。Tilt-Up工法を中層棟にも応用できないかと建設省や大成建設と共に研究を進め、いよいよ実用化の時が来ました。公団国領団地の南にあった量産試験場でコンクリート板を製作し、神代団地で試作第1号として組み立てたのだそうです。神代団地での成功を見て、翌年に千葉市作草部に移動式PCプラントが設置され、千草台団地・あやめ台団地の建設が行われました。


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日が暮れると団地にたくさんの明かりが灯ります。


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緑いっぱいの神代団地は、夜になると鈴虫の声がたくさん聞こえてきて、とても風情があります。甲州街道や京王線の喧騒からわずか数百メートルの距離なのに、まるで別世界です。


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毎年秋に行われている「広場コンサート」は、団地がピカピカだった頃から行われている伝統行事です。地域の楽団が団地の真ん中で演奏会を行います。


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神代団地を歩いていると、車の姿がほとんどありません。郊外団地の多くは住棟間にずらっと車が並んでいますが、神代団地の駐車場は敷地の端にまとめられているため、住棟間は青々とした芝生があるのみです。日本住宅公団は、昭和58年より各地で「総合的団地環境整備事業(総合団環)」と呼ばれる敷地内再整備工事に着手しました。この時、多くの郊外団地で住棟間に駐車場増設が行われましたが、神代団地自治会は「緑を潰してまで駐車場はいらない」と工事反対の立場をとったそうです。当時は神代団地でも路上駐車が問題になっていたそうですが、この自治会の判断はかなり先見の明があり、平成に終わる頃にはマイカー需要はどんどん小さくなっていきました。実は神代団地では以前からマイカー所有者同士で「神代ドライバーズクラブ」を結成し、お金を出し合って周辺の土地(13号棟南側農地と53号棟東側農地)を借地し、駐車場を整備していました。そして、そもそも神代団地は駅近団地のため、他の郊外団地ほどドライバーが多くなかったというのも大きかったのでしょう。神代団地は、豊かな緑に包まれた安全な環境が保たれることとなったのです。なお、同じ多摩地区の国立富士見台団地でも同様の理由で駐車場増設が行われなかったそうです。


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2013年に着手した団環事業でここにあったプレイロットと球技場は芝生広場に再整備されました。八反田用水沿いの桜でお花見ができる穴場スポットです。春や秋になると、団地内のあちこちでレジャーシートを広げて談笑する方々を見かけます。ちょっとしたピクニック気分ですね。


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2012年ごろ、39・40・41・42号棟にエレベーターが設置されました。踊り場着床型といって各階の踊り場に停止するため、半階は上り下りする必要が生じます。階段室ごとに設置が必要なため高コストとなるうえ、半階分の上り下りが残り結局バリアフリーにはならないため、他団地を含めエレベーター設置はあまり広がらなかったようです。この4棟にエレベーターが設置された際、他の棟の上層階に住む高齢者が何人もこの棟に移り住み、空いた部屋が若いファミリー世帯で埋まるというなかなか興味深い人の動きを見ることができました。


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商店街がある34号棟は片廊下型住棟で、エレベーターが後付けで設置されています。この棟は北側に耐震ブレースを設置できないため、住戸内(ベランダ窓枠付近)に設置されています。


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団地の周りには、まだわずかに武蔵野の原風景を思わせる農地が残っています。神代団地が完成したばかりの頃は、敷地の一歩外に出ると遠くまで農村風景が広がっていたそうです。品川通りもつつじヶ丘駅南口も無く、雨の日は長靴を履いて、田んぼの畦をどろだらけになりながら通勤していたのだとか。品川通り(つつじヶ丘〜柴崎間)は昭和42年、つつじヶ丘駅南口は昭和46年、つつじヶ丘駅地下道は平成6年に完成しました。


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2010年ごろまで子供向けの神輿行列をやっていました。


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神代団地商店街の2007年ごろの写真です。団地が完成して50年経ったころ、店子の高齢化で商売をやめる時期が重なったため、テナントが平成後期に一気に入れ替わりました。ちなみに団地完成時(昭和40年)のテナントは次の通りです。


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調布市立調和小学校は神代団地調布市域の子供達が通う小学校です。民間活力(PFI事業)を導入し、豪華な温水プールや図書館を合築した、多摩地区随一の豪華さを誇る小学校です。調和小学校は、この場所にあった旧野川小学校と、隣接地(現・大町スポーツ施設)の旧大町小学校が合併してできました。旧野川小学校は、当時流行していた蜂の巣型の校舎で、団地と一緒に整備された小学校でした。団地の高齢化と共に生徒数が減ったため旧大町小学校と合併したのですが、2000年代に入ると団地のファミリー層回帰や近隣開発の進行で生徒数が増加に転じ、増築工事が行われました(2014年)。ちなみに調和図書館ができる前は、団地の敷地内(現在プレイロットになっている20号棟の横のスペース)に「調布市立図書館つつじヶ丘分館」がありました。


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正月恒例の餅つき大会。年末になると各階段に「お手伝いさん募集」の張り紙がされ、みんなでお餅をついたり丸めたり。あんこ餅やきなこ餅が格安で販売され、毎年大行列です。


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芝生はよく雪が積もります。


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神代団地の暮らしは素敵です!



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