建替事業でスターハウスが激減
昭和61年、当時の住宅・都市整備公団は、「昭和30年代に建設された団地を原則建て替える」こととし、団地の建替事業に着手しました。スターハウスが建設されたのは、昭和31年〜39年ですから、この決定はすなわち「スターハウスの絶滅」を意味していました。
事業に着手すると、小ぶりで解体しやすいスターハウスは真っ先に重機で取り壊されることとなり「ほとんどの住棟が残っているのにもかかわらず、スターハウスだけが無くなっている」といった光景も珍しくありませんでした。全国いたるところで見られたスターハウスは、平成の中頃にはほとんど姿を消していました。
スターハウス保存への動き
名称すら誰にも知られることのないまま姿を消していったスターハウスでしたが、2000年代(平成12年)ごろより、当サイトをはじめ団地写真を取り扱うwebサイトがいくつかオープンし「スターハウス」の名前が認知されはじめました(日本で初めてスターハウス特集コンテンツを作成したのは、当サイトだと思います)。そのころ立て続けに団地関連書籍も刊行され、次第にスターハウス保存の機運が生まれはじめます。そしてついに2005年ごろ、取り壊し予定だったひばりヶ丘団地(東京都東久留米市)のスターハウス1棟が耐震改修され、管理事務所として利用されることとなりました。さらに春日丘団地(大阪府羽曳野市)では、スターハウスが給水施設としてリユースされることが決まりました。かつて誰の目にも留まらなかった「スターハウス」が、お金をかけて利活用される時代がやってきたわけです。
スターハウスが登録有形文化財に
団地の聖地と呼ばれていた赤羽台団地のスターハウスも住民の立ち退きが進み、ついに全棟解体間近かと思われていました。
ところが2018年(平成30年)7月、日本建築学会からUR都市機構に対して、赤羽台団地のスターハウス3棟と中層フラット1棟の保存活用に関する要望書が提出されます。すると翌年、2019年(令和元年)6月に、UR都市機構が「スターハウス3棟と中層フラット1棟を保存のうえ、団地の情報発信施設(博物館)を敷地内に建設する」という驚くべき発表を行なったのです。
さらに翌月には、なんと国(文化庁)の登録有形文化財(建造物)に登録するよう答申がなされ、新聞に載るほどの大きな話題となりました。登録有形文化財に団地が登録されるのは史上初のことで、かの同潤会アパートですら登録されなかったにもかかわらず、かつて無名だったスターハウスが登録されたというわけです。これは奇跡としか言いようがありませんでした。
スターハウスのこれから
令和2年現在、UR管理の賃貸住宅で入居可能なスターハウスは、常盤平団地の10棟、野方団地の2棟、香里団地D地区の4棟(いずれも諸事情で建て替え事業が見合わせとなったもの)のみです。これらのスターハウスは数年前にリノベーションされ、内装や建具がピカピカに交換されました。これからも団地の花形として活躍してもらいたいものです。
令和5年9月には、赤羽台団地のスターハウスを含めた一帯が「URまちとくらしのミュージアム」として公開されます。北八王子の集合住宅歴史館の展示物もこちらに移設されてくる予定なので、楽しみに待ちましょう。
最後に私見ですが、人口減少社会ではいずれ土地に余裕が生まれ、容積率を使い切ることよりも「空間のゆとり」が重視される時代がやってくるかもしれません。その時には、もしかすると再び中層スターハウスが新築されるようになり、かつてのひばりヶ丘団地のような夢の空間が誕生するかもしれません。私は、その時を夢見続けています。
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(公団住宅のスターハウス)
(c) 2005 Terui Keita