日本住宅公団阿佐ヶ谷住宅
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三角屋根のテラスハウス
先にご説明いたしましたとおり、同じに見える三角屋根のテラスハウスもTA型(東-56-TN-3DK)とTB型(東-56-TN-3D)いう2種類のタイプがありました。ちょっと見ただけではほとんど見分けがつかないのですが、南側の2階の窓の配置が若干異なるため、注意してみれば判別可能です。

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北側はどちらのタイプも同じ形をしています。

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こちらのテラスハウスのように、2階の窓が建物の端部にあるのがTB型テラスハウスです。

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テラスハウスのドアは窓付の木製です。

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2階の窓が建物の端部ではなく、やや内側についているのがTA型テラスハウスです。

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阿佐ヶ谷住宅に限らず、住棟番号が一目で見えるように建物を配置することは公団のこだわりどころでした。

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テラスハウスまでは小道でアクセス。

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阿佐ヶ谷住宅では、入居開始から10年と経たない間に専用庭に増築する住戸が多数現れたそうです。この増築に関して住民間の自主的な協定があり、シンプルに一部屋追加するだけの増築が許されていました。したがって鷺宮団地や烏山第一団地で見られたような無秩序な増築は行われませんでした。

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阿佐ヶ谷住宅が建設された善福寺川沿いの低地は軟弱地盤でしたので、建物は地中深くまで杭を打って丈夫に支えられていました。ところが後から住民が行った増築部分はそうなっていないので、一部の部屋では増築部分が南に向かって傾いていくという現象が起きていました。

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コンクリートブロックの壁って、今やほぼ絶滅危惧種ですね。

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2階の木製の柵が欧米っぽい。

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専用庭も高根台団地のように塀でガッチリ囲まず、ゆるく囲ってあるのみです。専用庭とコモンの境界をあえてぼかすことで、個人の維持管理の手が共有の空間まで広がることを狙っていたのだとか。

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阿佐ヶ谷住宅だけなぜこのような豊かな空間が実現できたのかというと、それには理由があります。日本住宅公団は国から課せられた戸数のノルマがあり、計画部隊が「この団地は何戸」という風に必要戸数が割っていたのです。そこで設計者の津端修一氏は「阿佐ヶ谷ではどうしてもこの戸数は入らないから、その分他の団地に回して」というようなやりとりを公団内で行い、阿佐ヶ谷は特にゆとりのある団地計画となったのでした。このようなやりとりは、他団地でも頻繁に行われていたそうです。ちなみにお隣の荻窪団地は対照的で、単身住宅を含む狭小住戸がぎっちりと詰め込まれており、阿佐ヶ谷住宅とは異なる表情を見せています。(それでも現代の集合住宅と比較すれば相当なゆとりがありますが。)

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阿佐ヶ谷住宅のコンクリート製の屋根の直下に部屋があったため、真夏は凄まじい暑さだったそうです。

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住棟間の距離は、日照条件により規定されており、一般的な中層棟では冬至に4時間日照を確保できる距離だけ住棟を離して配置していました。テラスハウスとなるとさらに厳しくなり、冬至6時間日照の確保が条件となっていました。(日本住宅公団昭和30年度設計基準)

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絵になるテラスハウス

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最後までご覧いただきありがとうございました。阿佐ヶ谷住宅は以上です。(写真全198枚)
阿佐ヶ谷住宅
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