日本住宅公団阿佐ヶ谷住宅
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中層フラット住棟
中央広場がある街区には中層フラットの4階建て(56-4N-3DK)が4棟、3階建て(56-3N-3DK)が3棟配置されていました(広さはいずれも15.63坪、約52平米)。外周部に低層住棟を並べて、中央部を中層棟で固めています。ここから周辺地域との調和を図ろうとした設計意図が読み取れます。

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この時代の中層フラットの屋根は片勾配(直線)なのが特徴です。後の時代の団地ではほとんど直線に近い三角形(勾配の頂点が真ん中に来る)の屋根になっています。

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公団の3階建ての住棟はかなり珍しいですね。

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階段室踊り場の腰壁の下部に隙間があるのは、東京支所管内にあるごく初期の団地の特徴です。

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この棟の窓に取り付けられているフェンスは、新築時からのオリジナルのものだと思われます。

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中層フラットの棟間には広い芝生が配されていました。

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こちらの棟は物干し竿をかける部材がベランダから突き出すように設置されていました。

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阿佐ヶ谷住宅建て替え組合事務所は、中央広場に面した棟に構えていました。

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24号棟だけは、なぜかピンク色でした。

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焼却炉の煙突跡が残る24号棟

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中層フラットとテラスハウス間の小道

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中層フラットの階段室です。なぜか猫が住み着いていました。鋼製ドアと牛乳受けは新築当時のままのオリジナル品が残っていました。

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中層フラット間から除くテラスハウス

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この棟も物干しが外側に突き出しています。

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丸い覗き窓のメーターボックスは昭和30年代の印

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中層フラットのエントランスからシームレスに繋がる中央広場

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昭和35年以前設計の団地では、低層棟と中層棟がミックスした個性的な風景が数多く見られましたが、以降の団地では5階建て中層フラット一辺倒の時代がやってきて画一的な風景になっていったと評価されています。代わりに百草団地以降は、中層棟の中にアクセントとして高層ポイントハウスを織り混ぜる手法が多用されるようになりました。昭和40年代後半以降は、北坂戸団地や若葉台団地、東坂戸団地等でテラスハウスが復活し始め、その後標準設計が廃止になると今度は、葛西クリーンタウンやハイタウン塩浜などで「中高層ミックス」という中層棟と高層棟が混ぜこぜの団地が現れました。このように低層、中層、高層をどう織り交ぜていくかということは、常に公団住宅の設計上の重要な課題であったと言えます。阿佐ヶ谷住宅は、公団黎明期における一つの到達点です。

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階段室内の階数表示
箱型テラスハウス
敷地北側に9棟配置されていた公団標準型のテラスハウス(56-TN-2D)です。広さは13.80坪、約46平米です。1階にはトイレと浴室、ダイニングキッチンがあり、2階には4畳半と6畳の和室がありました。

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屋根が真っ平に見えますが、真ん中を頂点に緩やかな三角形になっています。

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コンクリートの継ぎ目が見えます。この住棟もTilt-Up工法(工場で製造したコンクリート板を重ねて現場に搬入し、クレーンで吊り上げ組み立てていく工法)が採用されているものと思われます。

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単色のタイルかと思いきや、微妙に色を変えてある?

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団地建設当時と変わらぬベランダ柵が設置されています。メッシュフェンスのような柵は耐久性の問題や、幼児が登ってしまう恐れがあるため、のちに採用されなくなりました。

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玄関部分が引っ込んでいます。出っ張ってる部分はトイレです。

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2階の窓は天井まで達しています。かなり明るかったことでしょう。

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テラスハウスのドアは木製です。牛乳受けの上の窓は浴室です。

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箱型のテラスハウスは都営住宅でもよく採用されていたため、阿佐ヶ谷住宅を都営住宅だと勘違いする人もいました。
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